2014年2月19日水曜日

こんな本を読みました: 『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』


工藤雄一郎・国立歴史民俗博物館編 2014

『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』

 

ひさしぶりに、読んでコーフンした本だった。もちろん内容がそうなのだが、縄文人の植物との対応の問題に長らくかかわってきた研究者としてさまざまな人や出来事がおもいうかぶからである。
 
私が考古学を学び始めた頃は、縄文時代とは狩猟採集の段階で、米や野菜などは弥生時代に大陸から伝わったというのが定説だった。ところが、最近の発掘や分析技術の発達によってそんな常識は覆されてしまった。縄文人の植物利用の解明に力を注いでいる(これまでの土器や石器だけではなく、顕微鏡を通して見る微細な自然遺物を扱う)若い研究者の数が増え、その成果が一般書の形で出はじめたからである。(ほかには、小杉康ほか2009『縄文時代の考古学3』同成社)
 

縄文人が作ったダイズとアズキ

食用植物としてはコメ、クリ、マメが論じられているが、そのなかで驚いたのはマメ類についての報告だった。従来、マメ類については考古学的な同定が進んでいなかった。私自身にも苦い経験がある、1979年のAffluent Foragers(採集民の成熟)のシンポジウムをまとめるとき、当時福井県鳥浜遺跡で(日本で初めて)発見されたマメを日本ではリョクトウと同定していたが、それについて、共編者のトマス氏から「そんなはずはない、あれはインドあたりのもの」というクレームが来た。こちらは専門家じゃないし、ドタバタした後なんとかごまかしたのだが、こちらの負けかなという気がしていた。もう一つあげれば、丹波黒豆の話をしていた時「身の黒い大豆は大陸ではみないんだよね」といった専門家の言葉だった。
最近の成果はそのあたりのモヤモヤを見事に解明した。決め手となったのは圧痕レプリカ法、土器面に着いた圧痕にシリコンを詰めて「かたち」を取り出す方法である。これによって、マメの構造(臍、縫線、縦溝)が明らかにされ、例数も飛躍的に増えた。その結果、はじめ中部日本で野生種として利用していたツルマメ(ダイズ)とケツルアズキ(アズキ)を4500年前(縄文中期)から栽培種として育てるようになり、それが西日本に広がったことを明らかにしたのである。しかも、栽培化の動きは中国や韓半島でもほぼ同時に起こっていることも興味深い。
 

栽培植物と農耕コンプレックス

豆類はタンパク源として重要ではあるが主食とはならない。デンプン質の穀類や繊維、ビタミン類の野菜と組み合わせ育てられのが(コンプレックス)のが農耕としてのあるべき姿だろう。日本産にこだわるならば穀類としては、ヒエがある(北海道、東北地方が中心というズレがあるが)。また、野菜の候補としてエゴマがあり、ダイコンやカブなど菜種類(Brassikka)もあるが、例が少なくまだ明らかにされていない。これらについては、本書ではあまり触れられていないが、将来、縄文農耕に対する理解が深まるにつれて、是非考えるべき問題となるであろう。
 
(小山修三)
 

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